The history of fire King
ボテッとして愛嬌があり、コーヒーがぼんやり透けて見える独特の乳濁色。素朴で味わいのある古いアメリカ製のガラスの器はアメリカの古きよき時代から現代に至り、そしてこれからも人々に愛され続けて行きます。長く使っても飽きが来なく、でしゃばり過ぎず、さりげなく自己主張・・・とてもとても不思議な魅力のミルクガラス。ファイヤーキングを好きになると歴史を紐解きたくなります。そんなミルクガラス製品誕生にまつわるお話しをしたいと思います。
そもそも“ファイヤーキングって何??”と思われた方。ご存知ないのも当然です。だって今は生産されていないのですから・・・当然、ジャスコやイトーヨーカドーの一般的な食器コーナーにも復刻版以外は多分売ってません。50年以上も前にはアメリカの一般家庭でごく普通に使われていた古い古いオーブンウェアー(耐熱)食器のお話です。
歴史をさかのぼる事1905年。アメリカはオハイオ州にあるランカスターという町で、とあるガラスメーカーに勤めていたアイザック・J・コリンズ氏が仲間6人で独立し“ホッキング・グラス”とういう会社を設立しました。ホッキングの意味は工場近くを流れる川の名前からネーミングしたそうです。そして50人くらいの従業員数で小さなガラス工場を立ち上げました。その工場は大規模な火災や1929年の大恐慌にも屈する事なく順調に成長し続けてゆきます。1937年の末、数社のガラス会社との合併により“アンカーホッキング・グラス”へと社名が変更になりました。アンカーとは・・・そう船のイカリの事です。(船が流されないようにするおもり)そして5年後の1942年にいよいよ“ファイヤーキング”ブランドの誕生です。ファイヤーキングとはその名の通り“火の王様。
とはいえ直接火にはかけられませんがオーブンに入れても大丈夫という耐熱ガラスがネーミングの由来となっています。
ファイヤーキングブランドや他ミルクガラス製品が大量生産・大量消費された時代の背景には第二次世界大戦後であったという事情が大きかったようです。暗くて悲しい戦争が終わり、開放的で明るい気分を求める人々とカラフルで楽しい食器がまさにピッタリとはまった時代でした。戦争はテクノロジーを大きく変えます。軍事利用された耐熱ガラスの技術は戦後、平和利用に用いられました。家庭での食卓を彩るオーブンウェアーへの技術へと変化して行ったのです。
第二次世界大戦後のアメリカでは戦場から帰還した兵士が一斉に結婚をしてベビー・ブームが生まれ、彼らは郊外に家と車を持ち広いリビングキッチンがある家を好みました。そして何もかもが電動で家具もピカピカ。明るい未来、バラ色の50年代を向かえるにあたり、広々としたリビングキッチンはまさにその象徴であったのです。そしてリビングにはカラフルで少々ぶつけてもへこたれない頑丈なファイヤーキング達が食卓を彩りました。
数十年の歳月を経て遥か遠い海の向こうから日本へやってきたファイヤーキング達が私達の食卓に華を添える事となります。アメリカのダイナーやごく普通の一般家庭で愛され、古の時が刻まれたファイヤーキング達は特別でロマンチックな郷愁感を感じさせてくれます。そして私達もファイヤーキングが奏でてくれる古くて新しい時間を受継ぎ、そしてまた次の世代にバトンタッチする事ができたならとても素敵でしょうね。












